傑山寺の由来

常英山傑山寺は、慶長13年(1608年)に初代片倉小十郎景綱公が臨済宗妙心寺派大本山妙心寺の第十一世天心智寛大和尚を開山として建立された寺院で、本尊は拈華釈迦如来立像です。片倉家の菩提寺として初代景綱公始め代々の城主とその奥方、家族が弔われています。

白石は戊辰戦争時に奥羽越列藩同盟の中心として位置付けられましたが、傑山寺も侍の詰所として重要な要所とされました。
官軍の強硬派である世良修蔵が阿武隈川河原で斬首された後、その首級が傑山寺に運び込まれたときも、十四世住職の東関和尚は片倉家菩提所に奥羽討伐の強硬派世良を葬ることに難色を示し、末寺の月心院に埋葬させたといわれています。

景綱公の遺骸は傑山寺に埋葬され、敵にあばかれないように、あえて墓石を造らず一本の杉を墓標にしたといわれています。その老木はまさに景綱公の実直な人柄を表すかのように、今でも傑山寺墓地に一際高く堂々とそびえ立っています。


片倉小十郎景綱画像
(仙台市博物館所蔵)

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臨済宗妙心寺派について

妙心寺とは

妙心寺は、山号を正法山と称します。もとは花園の離宮(仁和寺花園御所)です。開山は関山慧玄、開基は花園法皇です。

妙心寺は京都市右京区花園にあり、山号は正法山(しょうぼうざん)といいます。開山は関山慧玄、開基は花園法皇です。
妙心寺の地はもと花園法皇の離宮でしたが、花園法皇が厚く帰依した大徳寺の開山宗峰妙超(大燈国師)のすすめで、その高弟の関山慧玄を開山として建てられました。

現在、本山塔頭は46ヵ寺、妙心寺派末寺院は全国に3,400ヵ寺を数え、臨済宗では最大の本山です。
妙心寺には国宝の梵鐘や墨蹟があり、法堂をはじめとする主要伽藍が重要文化財に指定されています。また、関連機関として花園大学、花園高校、洛西花園幼稚園などがあります。

関連機関リンク


重要文化財三門

重要文化財仏殿

重要文化財開山堂

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傑山寺の境内

広大な境内には十一面観世音菩薩が祀られている観音堂や、初代片倉小十郎景綱公の墓標として植えられた一本杉、角界に今もなおその名を轟かせている初代谷風の墓、そして片倉家と縁の深い北海道松前藩主、松前安広とその子孫の墓所などがあり、本堂裏手には心字池を配する庭園や、井伏鱒二の書いた文学碑なども点在しています。
また、傑山寺は県の風致地区として特別認定を受けており、全山に老松をはじめ銘木が数多く存在しています。
特に秋には楓の紅葉が大変美しく、錦の屏風を広げたような絢爛たる紅葉を楽しむ事が出来ます。


観音堂

一本杉

初代谷風の墓
参道横にある観音堂。十一面子安観世音菩薩様がお祀りされています。
傑山寺観音祭り
小宝・産み分け祈願の紅白枕
初代片倉小十郎景綱の墓標として植えられました。
白石の礎・初代片倉小十郎景綱公
歴史に名を残す名力士谷風の墓。谷風は生前に、自分で担いでこの墓石を運んで来たといいます。
初代谷風の郷愁

片倉家の廟所

松前家の廟所

井伏鱒二文学碑
境内には杉林に囲まれ、片倉家の墓が並んでいます。
白石の礎・初代片倉小十郎景綱公
北海道松前城主慶広の五男安広とその子、広国が眠っている。広国は歌舞伎でも名高い松前鉄之助である。
白石に魅せられた松前安広
先々代住職寛道和尚の頃、白石を訪れた井伏鱒二が傑山寺に色紙を贈りました。その文章を石碑にしたものです。

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